2019年10月1日配信<0510archives>「御家人三千綱の『正義の味方・岩手の旅編』(作家・高橋三千綱)

 

 


 「Mクンへ」。

 江戸ものの時代小説を書くために借りた恩方の家だったが、1年間、何も書けず、ついに撤退することにした。家賃が払えなくなったためである。

 しかし、家に移したものの、恩方からの荷物書籍はまだぜんぜん片づいていない。西新宿、笹塚、赤坂、府中と転々とした、20年越しの荷物なのだから簡単ではないのは承知だったが、それにしてもまだこれほど残っていたとは。

 7月26日に恩方と自宅の両方でだいたい整理したはずだったが、まいった。府中から恩方に運んだときは荷物を三分の一にしたのだが、本の多さは想像以上だった 。
 家にある本を三箇所に分散することを頼んで、家をでる。姉夫婦と甥っ子まかせになる。
 拙者は整理と力仕事は苦手なのである。

 11時に家をでて、新宿にいく。京王デパートで古書展をやっている。
 目的の本はなかったが、なんとなく1万円ほど購入。それを秘書を呼んで渡す。
 そのため、東京駅についたのが、2時35分という時間。40分にはやまびこ57号にのっていた。

 学研の加藤君と待ち合わせ。これが彼との最後の取材になる。
 パーゴルフの川上部長と広瀬編集長は拙者をはじめ、さまざまなリストラをフリーライターに敢行し、自分たちはいまだに居残ってえばっている。
 真っ先にリストラされるべきは彼らだろう。
 川上はパーゴルフを単体の会社として独立させることを企んでいるが、うまくいくことはないだろう。
 そう簡単に上場して儲けようという企みが成功するものではない。
 人格失格で人が離れる。
 パーゴルフはいづれ吸収される運命にある。
 加藤君はどちらにいくかいまだに決心がつかない様子。拙者は学研に残ることをすすめる。

 5時24分水沢江刺着。さみしい町だった。
 武家屋敷を探して歩いていると料亭があった。
 ていうことは、芸者か小粋な仲居でもいて酌をしてくれるのかと思い玄関に入る。
 なんせ、今日で半年間の禁酒が解禁になる夜なのである。
 つらかったなあ。

 ところが訪いをいれても誰も出てこない。
 となりに同じ経営者の「梅ふたり」という料理屋があったので入る。
 酒をおばさんに頼むと一合なのに徳利で出てきた。
 そのほか、肴が6品ほども出てくる。
 最後に飯。
 加藤君とふたりで合計5400円だった。
 それにしても岩手誉れのうまさは腹の底にひびいた。

 ここの店主はでてくるなり「みちつなさんですか」といきなり拙者の名を口にした。
 おおー、有名人と思っていると、なんでも拙者が37年前につとめた山の上ホテルに働いていたことがあるという。
 拙者とは入れ違いで入ったらしいが、よく知っているという。
 水沢地区を活発にしようという活動もしているらしい。
 もともとは田園地帯でうまい米どころでもあるのだが、先は見えない。

 そこを出て、繁華街というかスナック街を散策する。
 拙者はカラオケのあるスナックやできの悪い女がいるスナックは敬遠している。
 それで小料理屋を探したのだが、ない。
 「駅」の高倉健さんみたいな気分で、倍賞千恵子のような女将がいる店はないかと歩いたのだが、ない。

 それで「紅亭」というかろうじて小料理屋ぽいところのドアをあける。
 カウンターだけの店で3人の客がいた。
 拙者は入ると、ふたりは出ていった。
 あとで女将の同級生だときかされた。
 ということは女将は40歳半ばか。体格のある女で、肩も腰も拙者の3倍くらいある。
 それは誇張ではない。
 夫と別れて子供をひとりで育てるために、1年前から店をやりだしたということである。
 しかし、下半身の頑丈さが、可憐とはほど遠い現実を映し出していて同情まではいたらなかった。
 ここでも酒を一合のむ。
 隣の老人は牛乳を飲んでいた。
 怪我をしたとかで酒が呑めないのだという。いい老人だった。

 「みずさわ北ホテル」にもどり、快眠。しかし、それもすぐに破られる。
 6時前に目覚ましがなる。
 起きて顔を洗う。
 6時半にFM放送、「グリーンジャケット」のディレクターから電話がはいる。
 タケ小山司会の生放送に出演。なんだか分からない内に終わる。
 それからまた眠る。7時半に下におりて朝飯。スケバン刑事の3代目の大西なんとかという女優がいた。
 すっぴんであるので分からなかったが、あとからきて加藤君が教えてくれる。

 8時に栗駒カントリークラブ。取材相手の三浦氏は72歳でかつては日本シニアのチャンピォン。ラウンド後、インタビュー。加藤君はそのまま新幹線で東京へ帰る。

 拙者は盛岡にいって「さんさ祭」をみるつもりだったが、ふらりと入った小料理屋の酒がうまく、生ビールと酒、つまみ代でしめて1500円を払って店をでて歩き、水沢祭をみる。
 そのさみしさに盛岡の「さんさ祭」の壮大華麗、「群舞鳴動」とくらべて、思わず涙する。
 見物客もおらず、テキやも出ていない。
 テキやのいない祭は健康すぎて騒ぐ気にはなれない。
 テキやという、整理屋がいるからこそ、日本の祭は表向きに喧嘩ですべて納まってきたのである。
 歩くうちに昨日入った「紅亭」に明かりが入っているのを見て、また入る。
 今日も牛乳を飲む爺さんがいて、テレビを見ていた。店を出て、しじみラーメンを食べる。妙な味だった。
 盛岡行きはあきらめて、北ホテルに投宿。

 8月2日(日)。朝飯後、武家屋敷や後藤新平の生家をみる。
 武家屋敷は式台つきの立派な玄関をそなえていて、正面からまっすぐには式台が見えないように敷石がおかれ、樹木が茂っている。
 中庭との堺には塀がある。
 潜り戸を抜けて庭にでる。
 落ち着きのある庭園で、中の座敷も江戸の趣そのままに残っている。
 こういうものがさり気なく残されているところに文化を感じる。
 無粋な政治家には理解できない境地だろう。
 中国の共産党にいたってはゼンゼン理解できない深淵な世界だ。
 日本のよさと誠実にいきた江戸の人のこころを見る思いがした。

 盛岡まで在来線でいく。バスで盛岡競馬場へ。無料バスである。沿道にはもうゴザやビニールがしいてあって踊りのための場所取りをしている。6時から始まるので、競馬のあとの見物には丁度いい。
 バブルの殿堂、そのなりの果てと貸した競馬場にはいる。2千人足らずの観客しかはいらないところへ、3万人分のハコモノを建てたのは地方競馬に群がった魑魅魍魎の虫どもだ。みんな死んだか、よいよいになっているはずだが、しぶとく生きのびているのもいるときく。
 この建物を建てるために盛岡競馬はすべての蓄えを吐きだし、さらに借金をのこした。儲けた建設会社は東京に逃げていった。日本長期銀行のハイエナだ。連中はアメリカ人の手先となり、ある幹部は2億円のチップをスイス銀行に振り込んでもらって大喜びしている。そのうちのひとりがまたぞろ、3行合併をもくろんで、国から金を奪おうと画策している。死刑にすべき連中だ。住友の西川もしかり。郵政銀行に逃げ込んだが、住銀時代に変額保険で老人たちを破滅させたひとりであることは間違いない。

 盛岡競馬のC1級クラスの競馬は一生懸命走っている馬には可哀相だが、迫力が中央の馬とはゼンゼン違う。
 もう、使役馬かサファリ動物園でライオンの餌になるのが目にみえている。
 無惨な世界だ。
 殺されるところを見たら、牛も馬も肉という肉は喰いたくなくなるだろう。

 ここの建物の中にはレストランはなく、したがってビールも売っていない。
 外に建てられた掘っ建て小屋にいくしかない。
 そのうちのひとつにはテレビがないのでレースがみられない。
 つまり、酒を売れば馬鹿な客が八百長だと騒ぎ出すと競馬組合ではみているのである。

 競輪とおなじ発想である。
 ジュースを飲みながらギャンブルなどできるわけがない。
 客を小馬鹿にした発想が、競輪や地方競馬を破綻させるのである。
 競輪には県の幹部が多いに関わり合い、天下りというか、ドブ鼠くだりをして職についているが、こういう輩の月給が厩務員の待遇のひどさにつながるのである。

 10レースの「フェアリーC」にキングヘイローの子、クインオブクインが出てきた。
 中央組を迎えたマーキュリーカップでは大差の5着とさすがに苦戦したが、ここでは楽勝。ダートの1800を馬なりで勝って150万円を手に入れた。
 30日のビューチフル・ドリマーCが楽しみだ。
 ここには中央からタマノホットプレイやトーセンブライトが出走を予定している。
 固い馬券だったが、2.3倍を手にして祭に向かう。
 
 神社のあるところで降り、小雨の中、乱舞する浴衣姿の女を見ていた。
 新幹線の時間がきて、途中で引き上げざるを得なかったのは、さすらいの馬券術師らしくない。
 やはり、儲けが少なかったのか、それとも、雨の中で飲んだビールが肝硬変を刺激したの分からない。
 いづれにしろ、ぐったりしてはやてに乗った。

 車中で買ったばかりのパソコンでトースポ用の原稿を書いて送る。
 このモバイルを使ったパソコンはテレビショッピングで買ったものでモバイル利用で15000円、ワードなどオフィス使用にプラス1万円の2万5千円で購入したものだ。
 毎月3千円ほどかかるが、さすらいのおっさんには便利なしろもので、ゴルフのクラブが一本8万円もすることと比べると、先端頭脳がいかに、安くこき使われているか、悲しいまでに理解できる。
 彼らが先行きに暗雲をみつめていることが分かる。

 

 

                                        死ぬまで生きる、正義の味方より。

高橋三千綱HP
http://homepage3.nifty.com/michitsuna/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019年9月25日配信<週刊0510archive>『人生は義理と人情と浪花節!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出』

佐川急便・佐川清会長 
 祇園の夜から2週間、再び訪問した南禅寺の自宅の応接間に現れた佐川会長は破顔一笑、「お前、なかなか歌上手いやないか。それも『かえり船』なんて渋い歌をよう知っとったなあ。これ記念品や、持って帰り」。


 しわくちゃの封筒に入っていたのは、会長と歌った「かえり船」を録音したカセットテープでした。いつの間に録音したのでしょうか。さすがは気配りの達人です。


 今でも時々、あの時そのままの“しわくちゃ封筒”から取り出して聴いています。二人のデュエットは、叶うことなら皆さんにも聞かせて上げたいくらいにぴったりと息が合って(?)います。

 いつものように、おもむろにタバコをひとふかし。そして、お茶をひとすすり。先夜の話の続きが始まりました。

 「どこまで言うたかいな?」

──確か…難破船の話の後『苦中に楽あり、楽中に苦あり』、逆境こそ人間力を形成する最大の原動力だと…」

 「そうやったな。ワシがまだ会長当時やが、佐川急便労働組合の委員長だったことがあるんや」

──会長が労組の委員長を…ですか?」

 「とにかく、トップたる者のあるべき姿とは、肩書きなんてかなぐり捨てて社員と同じ汗をかいて一緒に会社を伸ばす。…この姿勢に尽きると思うとる。だから、ワシは労組の委員長に就任したんや。そら、ドライバーは喜んだがな。トップが肩書きに溺れ、自分には統率力があると錯覚した時から会社は段々と衰退に向かうんや。今のKもそうやが、東京のWなんかは、その典型やな。とにかく、権力・名声・金力に対して超然として、常に自分に恥じない人間を目指すこと。これがこの世に生を受けた男の生き様やぞ」

 「この世で一番便利なものであり、また一番厄介なものがカネや。そのカネに取り憑かれた人間は、必ず底なしの地獄を見る。このことを忘れたらアカン。…『犬馬難し、鬼魅易し』残念ながら、そのアカン人間が佐川におるんやから、ワシもまだまだや。修行が足らんちゅうことや。どない真面目に生きとっても人生には試練が付き物や。しかし、どないな試練に会おうとも世間を恨んだらアカンぞ」

 「何度も言うが、人生の成功はカネや権力、名声でない。ワシが言うんやから間違いない(笑)。それ以上に値打ちがあるものとは何ぞや『忘我利他』…この言葉は比叡山の山田座主から教えられたもんやが、まさに人生は忘我利他の境地にどれくらい近づけるか、その為の修行の場や。しかも、この道場はたとえ失敗しても七転び八起き、健全なる勤労精神がある限り、何度でも再起できる道場や」

 「佐川発展の秘訣は何ですか?ってよう聞かれるんやが、ワシはいつも『社員同士のライバル意識と連帯感』と答えるんや。つまり、社員ひとりひとりに、どれくらい相手の魂を揺さぶる情熱があるか、それこそが会社発展の最大の要因や。常に戦いの場に身を置いて毎日を熱く生きる社員が10人もおってみい、どんな小さい会社でも直に大きうなるもんや」

 「それとトップたる者に不可欠なものは直観力や。なんぼ理屈が合うとっても、アカン時はアカン。一寸先は闇、それが人生や。その闇を見透かすための“道具”が直観力や。これを粗末にしたら、どんな大きい船でも必ずどこかで座礁、沈没する。エエか、他人から、そんな理屈に合わんことしたらあきまへんと言われても、己の直感がゴーサイン出しとったら、トコトン、それこそトコトン勝負したらエエんや」

 まるで、“佐川塾”の授業です。それもマンツーマンの講義です。佐川急便の社員ですら、こんな贅沢な講義は受けていないはずです。

 「不正の誘惑に屈せず、常に義を貫いてこそ新しい道が開ける。今日はこの言葉で終わりにしょうか。唾を飛ばし過ぎて疲れてしもうたから寝るわ。また来月おいでや」

 これが佐川会長との最後の会話となりました。

 「人生は義理と人情と浪花節」――裸一貫で身を起こし、今日の佐川急便を作った「一代の快男児」の“遺言”ともいうべき話の数々は、今も昨日のことのように思い出します。

 2002年3月11日、京都市内の病院で死去。享年79歳。合掌。 (了)【隆】

 

 

 

 

 

 

 

 










 


2019年9月10日配信<週刊0510archives>「人生は義理と人情と浪花節!!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」

佐川急便・佐川清会長 
“祇園の夜”に似つかわしくない質問にも嫌な顔ひとつ見せず、時に笑顔を見せる佐川会長の口からは、南禅寺の自宅客間での会話とは、ひと味もふた味も違った迫力ある言葉が間断なく飛んできました。

──企業人としての会長の経営哲学を聞かせてください。

 「常に汗みどろの人生を送ってきたワシにはそんな大それたもんはないが、幹部連中にはいつも『企業の存在価値は社会や社員の秘めたる夢の実現に最大限貢献すること』と言うてきたつもりや。3万5000人の社員全員に、この考えが浸透しているとは言えんが、経営者たるもの、常に社会と社員のことを考えて行動せんと、会社なんてアッと言う間に潰れてしまうぞ」

 「人と出会い、人と交わり、人と育つのが人生だ。その短い人生で縁あって出会った人間が何人いるか、それも損得抜きの付き合いができる仲間や部下が何人いるか。そんな彼らこそが会社にとって最大の財産なんや。とにかく、人に出会うことで仕事が生まれ、人と出会うことで事業が発展する。これこそがワシが身体で覚えた経営哲学やな」

 「とにかく夢を持って、夢を追いかけ、そして夢を実現する。そうした気概を持ち続けとったら、必ず幸運に巡り会える。『継続は力なり』や。夢は持ち続けておかんと逃げてしまう。中途半端はイカン。そのためには素の自分をさらすこっちゃ。そしたら相手もそれに応えてくれるもんや。そして、夢を実現したら仲間同士で分かち合う。自分ばっかりエエ思いしとったら、幸運は長続きせん。『人も良し、我もまた良し』。これでこそ人世やないか。そう思わんか?」

 かすれた声ながら、ズシンと心に響く言葉の連続にメモを取る手も止まりがちです。

 「カネというのは、オモロイ性格を持っとるもんや。執着すれば逃げて行くし、自在に操れば“良き召使い”になり、働かせば友達を仰山連れて戻ってくる。なかには碌でもない友人も居るけどな(笑)。ウチの幹部にはカネの奴隷になっとるドアホも居るが、そんな奴は経営者にもなれんし、悪戦身に付かずで、精神が堕落する。カネは人を測る“物差し”であり、またカネの使い方はその人間を見極める最高の“物差し”とワシは思うとる」

 「組織の大小にかかわらず、トップに立つ者は、常に飢え、常に戦い続け、常に迷いなく決断せないかんもんや。そのためには、あらゆる苦難や逆風を五感で感じられるように自分を鍛錬せなあかん。人生は一度限りや。攻めて、攻めて、攻めまくるこっちゃ。それでもギリギリの立場に追い込まれたら、その時は運を天に任せたらエエんや。世間にはワシのことをワンマン、独裁者や言うて鬼畜生みたいに言う奴も居るけど、トップたる者、ワンマンでなけりゃあ、会社なんていう船は、すぐに難破船になるんや。…『苦中に楽あり、楽中に苦あり』…無事に港に船が着くまでは船長は鬼でなければアカンのや。そして晴れて港に着いたら甲板員から機関員まで、みんなで美味い酒を飲む。これが男の最高の生き方やないか」

 佐川節は絶好調。しかし、あまりの長居は身体に障るのでは?…そう思いながら、「会長、そろそろ〜」と切り出そうとした時を見計らったように……。

 「この話の続きは、今度にするとして、オイ!一曲歌うて帰ろうや。バタやんの『帰り船』を一緒に歌おうやないか」

 ♪♪波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の帰り船♪♪

 一番を佐川会長が、二番を小生が、そして三番をデュエットで歌いました。
 声といい、節回しといい、なかなかのものです。
 懐かしい思い出です。(続く)【隆】












 


2019年8月28日配信≪週刊0510archive≫「人生は義理と人情と浪花節!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」

佐川急便・佐川清会長
 涼しい顔で日本皇民党への株券譲渡を語ったと思えば、無邪気な顔でモグラ退治のコツを語る。…佐川節は今日も絶好調です。まだまだ聞きたいことは山ほどあるのですが、間もなく約束の2時間になりました。

──そろそろ、失礼したいと思いますが。

 「何や、もう帰るんか?まだエエやないか。今日は調子がエエから祇園へでも行くか?話の続きはそこでしようやないか」

 頻りに咳き込む会長の体調も気掛かりだったのですが、強い誘いに根負け。場所を祇園のお座敷に移してインタビューすることになりました。
 
 玄関をくぐった会長、下足番のお爺さんに「世話になるぞ。これとっとけや」と“ン万円”をポン。次いで、座敷に向かう廊下で女将に「これ、お運びさんにあげてや。何人おんねん」と一人当たり“ン万円”ずつの心付けを渡しました。
 聞きしに勝る“豪快な散財”にポカンとしている私に、

 「あのなあ、心付けちゅうのは、下に厚く、上に薄くが鉄則やぞ。芸妓や舞妓には高い花代を出しとるんやから要らんがな」

──???

 「ワシかて、ひとりでこんな座敷に来ることは滅多にない。そんなカネがあったらドライバーと焼き肉食うた方がなんぼかエエがな」

──つまり、接待の時だけこういう座敷を使うということですか?

 「そうや。接待ちゅうのは、相手を真心込めてもてなすことや。それを勘違いして自分が気持良うなっとるアホがおるが、そんなカネの遣い方はアカン。死に金や。玄関は最初に入る場所であり、最後に出る場所や。大事な客人に最初と最後に気持良うなって貰うためには、(下足番の)爺さんを大事にしとかな。先に他の座敷の客の靴を手にしていても、佐川の客の姿が見えたら、持っとる靴を放っぽり出して、ウチの客の履物を揃えてくれるがな。あんたが下足番だったら、どないする?」

──もし自分が下足番だったら…(十分に納得です)。

 「別に、こんな高い座敷でのうても同じや。例えば、うどん屋に入ったとしょうか。客人が天麩羅うどんを注文したら、自分はそれよりワンランク、ツーランク落としてキツネか月見にするんや。それを客人と同じ物を頼んでみい、相手は全然、気持エエことあらへんがな。そうやろ。そんな奴は、接待に名を借りて“公金”でうどんを喰うとるのと同じや。今の佐川の役員は、そんな奴ばっかりや。だからワシは、佐川急便に明日はない!って言うんやが、アイツらは現場のドライバーのことを一顧だにせず、自分の懐を肥やすことばかりに夢中になっとるんやからホンマ、守銭奴の集団や。九州の支社長なんか、どないしてカネを抜いたのか分からんが、博多を中心に何軒も焼肉屋を経営しとるちゅうんやから。また北海道の支社長は、札幌に居らないかんのに、しょっちゅう上京、何をしとるかというと、昼はヤクザとゴルフ、夜は銀座か雀荘なんやから、なにをかいわんや。どいつもこいつもアホばっかりや(怒)」

──そういえば北陸支社では、車のトランクから二重帳簿が出てくるという事件もありました。

 「北陸だけやない。大阪支社でもややこしい事件があったし、中国支社にも問題が一杯あった。そういえば四国にも妙な事件があったな。どの事件も、すべてドライバーを大事にせんことに端を発しとるんやが、それを突っつかれたら首が飛ぶから、幹部連中は責任をドライバーになすりつけて、自己保身に汲々としとる。そら、ドライバーは恨むわな。しかし、ワシに上がってくる報告は、ドライバーが一方的に悪いという“ウソ”ばっかりや。そやから、“佐川急便残酷物語”とか“佐川奴隷運送”とかいう怪体な本が、仰山出てくるんや」

──古い話ですが、その手の本に書かれた事をもとに脱税容疑を掛けられたことがありましたね。

 「よう知っとるな。そうよ、きっちり調べられたわ。しかし、ナンボ探しても“タマリ”なんかあらへんがな。結局は脱税なしということで、国税の職員も『世間では佐川さんがガッポリとカネを隠しとると言うてますが、ホンマに持ってへんのですなあ』言うて拍子抜けして帰ったがな。ワシは小細工して貯めたりせんのよ。カネは貯めるもんでのうて、遣うもんや。まあ、その分、先に逝った家内が苦労したけどなあ。実際問題、毎月末になると嫁はんに『おい、カネあるか?』言うて貰うてたぐらいやからな。この家かて、世間では“南禅寺の豪邸”や言うとるようやけど、何が豪邸や。古い家やから冬になるとスキマ風が入ってきて寒いし、庭の手入れかて1年間で何百万も掛かるんやから、それこそ小奇麗なマンションにでも入った方が、ずっと“豪邸暮らし”やぞ。壊すにはもったいない由緒ある屋敷やから、文化財を保護するつもりで買うてくれ言うから買うただけやのに…ホンマに世間ちゅうのはオトロしいもんや(笑)」(続く)【隆】







 


2019年8月24日配信≪週刊0510archive≫「人生は義理と人情と浪花節!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」

佐川急便・佐川清会長 
  先に逝った盟友を偲ぶような目で、そして時に目を潤ませながら、「田中角栄」を語る佐川会長の表情は、実に穏やかでした。
 1922年生まれの佐川会長に対して、田中元総理は1918年生まれ。会長にとっては4歳違いの“兄”。ともに叩き上げという共通項を蝶番に、雪深い越後の国を故郷に持った“ふたりの英雄”の銭湯での邂逅は、まさに天の配剤、天の持つ磁力の為せるワザだったのかも知れません。


 同志であるとともに、同時に師であり、また好敵手であった「角さん」について、さらに佐川会長の思い出話は続きます。

──田中元総理は会長の目から見てどんな人物でしたか。

 「そうやな。ひと言でいえば、すべての面でお手本になる男だったな。不断の努力、人一倍の優しさ、そして何より時代の先を見通した鋭い感性。どれをとっても1級の大人物だったな。船舶振興会の笹川(良一会長)はんも傑出した人物だったが、ワシにとってはやっぱり角さんが一番だな」

──中国へ佐川急便の中古トラックを“寄付”したのは、日中国交回復に尽力した田中元総理の勧めですか。

 「そうだ。外交のことはよう分からんが、『あれだけの大きな国や。今に日本を凌ぐ世界の大国になる。長い間、睨み合ってきた両国だが、お互い人間や。時間をかけて話せば分かるし、手を携えなければならない時が必ず来る』というのが角さんの口癖だった。ほんなら中古で良ければウチのトラックを送りまひょかということで、翌年から寄付を始めたんや。そやそや、(会長の後ろに掛かった書を見上げながら)あれが1回目にトラックを100台かな、送った時に中国の偉いハンが送ってくれた書や」

──他に田中元総理のことで思い出すことは?

 「そうやな。今でもはっきりと覚えとるが、『ワシは人間は利用されるうちが花やと思うとる。人助けこそがワシの務めや』という言葉にはシビれたなあ」

 (佐川会長の豪快な“タニマチ”ぶりは、ひょっとして田中元総理のこの言葉にあったのでは?)

 「男が惚れる男、それが角さんや。角さんの前に角さん無し、角さんの後に角さん無し。今の政治家に角さんを凌ぐ政治家はおらん。どいつもこいつもチマチマ、コソコソする姑息な奴ばっかりで、国の将来を考えとる政治家はおらん。僅か54歳と言う若さで総理大臣になった“越後の今太閤”にワシは心底、惚れてしもうたんや。ワシが角さんにいくら献金しようが、そのカネはやがて形を変えて世のため、人のためになるんやから、それはそれでエエのんと違うか。それが、なんや!…真に国家を思う政治家を、しかも散々世話になった竹下や金丸は裏切りやがって!…あいつらの裏切りで角さんはダウン(85年に脳梗塞で倒れる)、引導を渡された(93年に政界を引退)んや。こんな非道は断じて許せんのや、ワシは!」

──それが、あの日本皇民党の「褒め殺し事件」に繋がるわけですか?一部には会長があの事件を指図したという声もありますが…。

 「指図したわけではないが、皇民党に“エール”を贈ったのは確かや。それが人の道やないか。皇民党には昔、京都府警絡みの一件でちょっとした縁があったんやが、ひょっとしたらワシの意を汲んで、代わりに竹下に天誅を下してくれたんかもしれんな(笑)。まあ、それが結果的に、東京佐川急便事件の“原因”になるんだが…」

──ところで、会長が保有していた佐川急便の株式を皇民党に譲渡した?という話があるのですが、本当ですか?

 「ホンマや。それがどうしたんや?彼らには諸々世話になったからなあ。当たり前やないか。昔なら、それなりのこともできたんやが、今は手元不如意やし。それに、彼らは昔からカネは受け取らんから、株券にしたんや。一時は持株比率で15%ぐらいあったけど、その後の増資で大分下がってしもうたがなあ。裸で生まれてきたんやから、冥土へ行く時も裸でエエやないか(笑)」

 (きわどい質問ゆえに、内心恐る恐る聞いたのに、あっさりと肯定。それがどうした?と涼しい顔で返されて、二の句が継げないままに、話題を変えて…)

──ところで、庭で放し飼いにされている鶴は幾らぐらいするのですか?

 「ああ、あれか。番いがふた組で50万円ぐらいかな。羽を切ってあるんで飛ばんがな。あれを狙うて、夜中にモグラが来よるんや。それで、今晩は徹夜で張り番をして、これで(おもちゃのゴム銃)モグラを撃ってやろうと思うてな(笑)。どや、お前もひと晩付き合わんか」(続く)【隆】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










 


2019年8月17日配信≪週刊0510archive≫「人生は義理と人情と浪花節!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」


佐川急便・佐川清会長 
「タニマチ」すなわち「特別営業部長」とは、何ぞや?…世間の噂を笑い飛ばしながら佐川会長は淡々と話を続けます。

「何遍も言うが、ワシは贅沢や道楽のためにカネを遣うてきたんやない。格好つけるつもりはないが、“将来の佐川急便”、“ワシ亡き後の佐川急便”のために遣うとるんや。世間は往々にして表面だけ見て勝手なことを言うが、ドライバーが汗水垂らして儲けてくれたカネをチャラチャラしたことには遣えんよ」

──ところで、政治家とのお付き合いも相当なものだったようですが。

 「ワシは一遍も来てくれ、会いたいと言うたことはない。そやけど、向こうから来るんやから、そら会わな失礼やろ( ´艸`)」

──どんな方が見えたのですか?

「共産党以外は皆、来たよ。ちょっと、待てよ」

 書斎から戻った会長が目の前に置いたのは借用証書や手形が詰まった古い手文庫でした。
 
 「これは、ここに来るのが一番多かった"黄門様"とか何とか言われとったF元総理が書いた借用証文や。大した用事もないのに、顔出すんやからしゃあないがな。来るたびに500万円や。控え目にいうても都合1億は下らんやろな。民社党の3代目委員長K、6代目のTもよう来たなあ。彼らは野党やから300万や。そうやな、金額的に一番多いのは、赤いマフラー巻いて、ダ―ッとか言うとるやな。ブラジルの牧場がどうした、こうしたで嫁はんのM子と一緒に来て、金22億円拝借致し候や。プロレス会社の株券を置いて行って、上場したら返せます言うとったが、どないなったんやろな。喜劇役者の(故人)や女優の(故人)も、公演のたびにチケットの束持って、しょっちゅう来とったなあ(笑)」

──この証文が未だに手許にあるということは…つまり、全然、返済されてないということですか。

 「そうや。たとえ貸したカネでも一旦、ワシの手を離れたら、どない遣おうと、また相手が返そうと返すまいと、ワシは頓着せん。返す奴は返すし、返さん奴は返さん。そんなことより世間をグルッと回って、またワシの所へ戻って来るように一生懸命、努力したらエエやないか。カネにしがみついたかて、あの世へは持って行けんがな。そうやろ」

──田中角栄元総理との交流は別格ですか?

 「角さんと知り会うたんは、ワシがまだトビやっとる時分やった。茨城・高萩の現場で仕事が終わった後、銭湯行った時に、湯船で天保水滸伝(㊟浪花節)唸っとる若い男がおったんや。『兄さん、エエ声しとるやないか。どこの産まれや?』『越後です』、『ワシもや』。同郷ということで、すっかり意気投合。その晩は二人で故郷の話を肴にして飲み明かしたのが付き合いの始まりや。その後だいぶ経ってから角さんが総理大臣になる前、確か通産大臣か何かになった頃からかな、本格的に“応援”するようになったんは」

──応援と言いますと、やはり政治献金ですか?

 「政治献金なんてそんな大袈裟なもんちゃう。『佐川急便』が軌道に乗ってからは、毎年暮れに12億円づつ目白へ運んだよ。『おーい角さん、裏の物置に入れといたでぇ』言うて、段ボールを母屋の裏の納屋にポーンと放り込むだけのことやけどな。領収書?そんなもんあるかい。『持って来たでえ』、『おう、いつも済まんなぁ』、『ほな帰るわ』で終わりや。そういえば半端な数字やったから、今でも覚えとるんやが、総裁選か何かでモノ要りだったんかな、1回だけ追加の要請があって、別枠で14億5000万円頼むと言われて、持って行ったことがあるなあ」

──もっと”生臭い場面”を想像していたのですが、随分と簡単なんですね(笑)。

 「そうや。カネは、グチャグチャ言わんと出してこそ値打ちがあるんや。世間が何かの見返り云々を想像すること自体、それこそゲスの勘繰りちゅうもんや(笑)」

――物置に“荷物”を入れたら、お茶を飲むどころか、話もしないで、そのまま帰るんですか?

 「“荷物”届けたら、それ以外に何の用があるんや。お互い忙しい身や。上がり込んで、グダグダ言う暇なんかないわ」

――「ハンコ不要の荷物は迅速を旨にすべし」ですね(笑)。

 「但し、ワシは唯の一度も角さんに生臭い頼みごとをしたことはないぞ。世間ではワシのことを札束で頬を引っぱたく“極悪商人”みたいに噂しとるようだが、ワシと角さんの付き合いは今、言うた通りや。もっとドロドロしとったら、アンタが喜ぶような話も出来たんだろうが、期待に添えずにスマンなあ(笑)。そうそう、角さんに直接、頼みごとをしたといえば、前妻の子供のが新潟の高田駅で切符切りをしとるんで、もっと大きい駅に配置換えしてやってくれんかと言うたら、当時の国鉄総裁の計らいで隣の直江津駅に移してくれたぐらいやなあ。そんなもんや、ワシと角さんの付き合いは。信じる、信じないはお前の勝手やけどな(笑)」

――娘の田中真紀子氏とは?

 「知らん。目白で何度か会ったことはあるけど、話をしたことはない。もちろん付き合いもない。角さんとは一代限りの付き合いや」(続く)【隆】

 

 

 

 

 

 

 

 





 


2019年8月15日配信≪週刊0510archive≫「人生は義理と人情と浪花節!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」

佐川急便・佐川清会長 
 いささか抽象的な表現ながら、佐川会長は東京佐川急便事件について「儲かり過ぎたこと」をその原因として挙げました。
 「儲かり過ぎたからですか?」…わたしの怪訝な顔を見ながら、さらに続けました。

 「そうや。持ち慣れんカネを持ったことで、カネの威力を過信してしもうたんや。カネがあれば何でもできると思うてしもうたんやな。そのカネも自分自身が額に汗して稼いだんなら、それもエエがな。しかし、上のモンがどこぞの銀行員みたいに背広着て、ネクタイ締めて能書き垂れとったんではアカンがな。人間ちゅうんは、そんなカネほど執着するもんや。だから二重帳簿作って差額を懐に入れたり、架空経費を計上してその分、着服したりするんや。そんなことせんと、儲けたカネは全部ドライバーに還元したったらエエのに、己の懐を肥やすことばっかりに知恵を巡らそうとするから、結局は自分で自分の墓穴を掘ってしまうんや。東京佐川の事件と直接関係ないと思うかも知らんが、自分の身体を24時間、目一杯使うて稼いだカネは、あんな風には使えんもんやぞ」

──つまり、東京佐川急便事件は、誰がどうしたこうしたではなく、“カネの性質”が引き起こした事件だったと?

 「そういうこっちゃな。飛脚業はドライバーあっての商売や。頑張っとるドライバーには月給100万円以上出してもエエやないか。すべてのドライバーの月給140万円、年俸1500万円というのがワシの願いやったんやがなあ」

──随分と高給ですが、1500万円に意味はあるのですか。

 「3年で3000万円貯めるには、それぐらい必要やろ。佐川でみっちり働いて3000万円貯めて、それをタネ銭にして自分で商売するなり、会社起こしたりしたらエエんや。青春時代の一時期を佐川で過ごし、仕事の何たるかを身体で覚え、やがては佐川を越える企業の長になる。それが男の人生、男の本懐やし、ワシの夢やがな。いつまでも佐川に居るんでのうて、貯めるモノ貯めたらサッサと辞めて、己の道を行かないとアカン」

──現在、居酒屋チェーンを展開しているWさんも確か…。

 「そうや。彼がお手本や。ドライバーみんなにWみたいになって欲しいんやけどなあ。今のKの許では、まあ無理やろなあ。運送会社でドライバーを大事にせんちゅうんは、結局は荷主が離れていく原因や。それが分からん奴が経営者になると、佐川は潰れるか、良くて横這いや。どない逆立ちしたって、今より大きくなることはないわな」

──ところで、会長は多くの芸能人やスポーツ選手の“タニマチ”と言われていますが。

 「儲けたカネは天下の回りもの、ヘタに貯め込まんと有意義なことにはバンバン使うたらエエんや。無駄遣いはイカンが、活きたカネは断固遣うべしや。世間ではワシのことを芸能人や相撲取り相手にカネばら撒いて有頂天になっとる言うて騒いどるが、それは下衆の勘ぐりや。何でワシが、彼らを応援しとるか、お前分かるか?」

 こう聞くからには、単なる道楽ではないはずと思っても即座に答えは出ない。

 「当時の運送業界いうたら、一に日通、二に西濃、三、四がなくて五に福山や。佐川なんか吹けば飛ぶような存在やった。地方に荷主の開拓に行ったかて、全然相手にしてくれへん。そこでや、ワシは『社長、もう仕事の話は止めまひょ』言うて、『ところで、社長は歌手で誰のファンでっか?』、『北島三郎、サブちゃんや』、『ホウでっか、ほなサブちゃんの身体が空いとったらここへ来て貰いまひょか』、『テンゴ言うて、ホンマかい?』ーーワシはその場でサブちゃんに電話するんやオウ、サブちゃんか?悪いけど、時間あったら金沢まで来てくれんか?』、『今、コマ劇場の舞台ですが、今日は夜の部は休演ですから、終わり次第駆けつけます』、『待っとるでぇ』。実際、夜になったらホンマにサブちゃんが、金沢まで来てくれるんや。まさかの大スターが目の前に現れるんやから、誰かてビックリするわな。そこでサブちゃんが、何曲も持ち歌を歌うてくれるんやが、さっきまで『ウチは日通しか信用しとらん』てくれと言い張ってた件の社長が、『分かった。来月からオタクに頼むわ』で決まりや。ワシの寿命は有限やけど、荷主との契約はそれ以上や。さしずめ、ワシは佐川急便の“特別営業マン”ちゅうところかな(笑)」(続く)【隆】








 


2019年8月13日配信≪週刊0510archives≫「人生は義理と人情と浪花節!!――佐川急便創業者・佐川清会長の思い出」--

佐川急便・佐川清会長
 雑誌記者時代に出会った多くの人のなかで、「最も思い出に残る人物は?」と問われたら、わたしは迷わず佐川急便の創始者である佐川清会長の名を挙げます。

 最初に京都・南禅寺の佐川会長宅を訪問したのは、東京佐川急便事件から8年を経た2000年の初夏でした。
 ある出版社から依頼された「佐川会長自らの言葉による『東京佐川急便事件』の総括」という企画記事の取材のためです。

 当時の佐川会長は肺気腫の療養中ということを聞いていましたので、「多分、だめだろう」と半ば諦めの気持ちで取材依頼書を送付致しました。
 ところが、数日後、会長自身から電話で連絡がありました。

京都の佐川や。明後日の午後は空いとるから来いや。待っとるで

 あっけないほどの「取材了承」の返事に、欣喜雀喜。翌々日の新幹線に飛び乗ったのはいうまでもありません。

 噂の“佐川御殿”の応接間に通され、挨拶を終える間もなく、「よう来たな。2時間はお前の時間や。何が聞きたいんや。せっかく東京から来たんや、遠慮せんと何でも聞きなはれ」――想像していた“佐川清像”とあまりにも違いすぎる、あけっぴろげな言葉に度肝を抜かれました。

 「おう、タバコ吸うんやろ。遠慮せんと吸いなはれや」…わたしの前に灰皿を進めながら、肺気腫を患っているにもかかわらず、なんと会長自身がタバコをくわえているのです。

 今思えば汗顔の極みですが、調子に乗ったわたしは勧められるままにプカプカ。しかし、会長はひとふかししただけで、そのまま灰皿にポイ。その時は何も思わなかったのですが、後日、お手伝いさんに聞いたところ、「お客さんに気を遣わせないように、まず自分が率先してタバコに火をつけるのよ。お医者さんからはダメと言われてるのに、全然止めようとしないんだから(苦笑)」とのことでした。

 不躾な取材依頼を快諾してくれたうえ、若輩者に対しても、細やかな心遣いを示してくれるとは!――まさにお・も・て・な・しの極致――“飛脚の心”の奥深さを垣間見せられた思いです。

 さて、取材開始です。

 ──8年前の「東京佐川急便事件」ですが、あの事件の原因をひと言でいうと…。

 「そうやな。儲かり過ぎたことや。分不相応なカネが人の心を変えてしもうたんや。『カネは天下の回りもの。しっかり働いて、しっかり稼いで、しっかり使うたら、それが世のため、人のためになる』のに、持ち慣れん奴はヘタに貯め込もうとするから結局、悪さをするようになるんや。カネは人間を活かしもするし殺しもする。今の佐川の役員はKをはじめ、どいつもこいつもカネに毒されとる奴ばっかりや」(続く)【隆】






 


2019年5月6日配信「地蔵和賛」<寄稿>

 


帰命頂礼地蔵尊
此れは此の世のことならず 死出の山路の裾野なる
賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなり
 
残せし着物見ては泣き 手遊び見ては思い出し 健全な子供を見るにつけ
なぜに我が子は死んだかと 嘆き悲しむ哀れさよ
 
哀れなる哉幼児が 立ち回るにも拝むにも
父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は 此の世の声とは事変わり
恋しさ哀れさ骨も身も 砕けて通る許りなり
 
二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり子が
数も限りも荒砂の 西院の河原に集まりて
小石小石を持ち運び これにて回向の塔を組む
 
一重積んでは父のため 二重積んでは母さまと
さも幼けなる手を合わし 礼拝回向ぞ賢らしや
三重積んではふるさとの 兄弟我が身と回向して
昼は一人で遊べども 陽も入り合いのその頃に
地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする
 
娑婆と思いて甘えるか ここは冥土の旅なるぞ
娑婆に残りし父母は 追善供養いたせども
ただ明け暮れの嘆きには 酷や悲しや不憫やと
親の嘆きは汝らが 苦串を受くる種となる
 
汝ら罪なく思うかや
母の乳房が出なければ 泣く泣く眠りなす時は 八方地獄に響くなり
また父上が抱くとき 母を離れず泣く声は 天地奈落へ響くなり
 
娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく
ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不憫やと
親の嘆きは汝らが 苦言を受くる種となる
 
我を恨むこと勿れと 黒鉄の棒を差しのべて 積みたる塔を押し崩す
その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給いつつ
 
田畑多く持つとても 冥土の資に成るものか
妻子䄅属ありとても 死出の山路は伴わず
 
そもそも此の世の縁つきて 命終りしその時に
魂魄中有に入りぬれば 限りも知れぬ暗き道
唯うろうろと当て所なく 孤り行くこそ哀れなる
 
峰の風の吹くときは 父が呼びしと起き上がり
水の流れを聞くときは 母が呼ぶかと馳せ下り 辺りを見れど母もなし
 
父を呼べども父も来ず 母を呼べども母とても
知らぬが死出の山路なり 此の苦しみは如何にせん
こけつ転びつ憧れて 逢いたや見たや恋しやと もだえ嘆くぞ哀れなり
 
汝ら命短くて 冥土の旅に来たるなり 娑婆は冥土と程遠し
われは冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと……。

 

 

 

 

 

 

 


2019年4月20日配信「読者の写真館・白糸の滝」<寄稿>

 

 



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