2020年2月6日配信<0510archives>「雑誌ジャーナリズム終焉の足音が聞こえる⁉――週刊誌の大半が5年後には“ご臨終”?」<社会>
(☚日本ABC協会HP)
雑誌の販売部数などをまとめる一般社団法人「日本ABC協会」のデータによって、雑誌を主たる収入源とする出版社の苦境は、よく知られるところだった。
しかし、会員制月刊誌『FACTA』が10月20日発売の11月号で、主要120雑誌の実売部数を網羅、それを10年前と5年前の数字と比較して一覧表にした「10年で販売部数が半減! 雑誌メディア『ご臨終』」という記事を掲載、「紙の雑誌の終わり」が来ていることを明確にした。
落ち込みは全雑誌に及ぶが、出版社の一部局にとどまらず、政治家や官僚、企業への“飛び道具”となって、出版社の格を上げ、それが広告収入にもつながるという意味で、長く「出版社の顔」であった総合週刊誌の落ち込みは目を覆うばかりだ。
17年7〜12月期の集計では、「文春砲」で知られる『週刊文春』が約36万部、2番手が『週刊現代』の約25万部、3番手が『週刊新潮』約24万部、4番手が『週刊ポスト』の約22万部である。
新聞社系の『週刊朝日』や『サンデー毎日』、実話誌系の『週刊大衆』『アサヒ芸能』などは、とうに10万部を切って採算ラインを割っており、文春、現代、新潮、ポストなどが廃刊になる時には、既に幕を閉じていよう。
落ち込みは衝撃的である。
12年同期比、つまり5年前に比べて、現代で42%、新潮で34%、ポストで29%、文春で25%の減少である。
広告を抜きに420円の単価で計算して、現代で毎号7140万円の減収となっている。年50号換算だと35億7000万円の減収。それでも経費は同等にかかるので、ほぼそれだけの利益が吹っ飛んだわけで、一般の企業ならありえない。
スクープ連発の文春ですら12万部の減少で年間利益を21億円も減らしている。
同じペースで減らしていけば、文春を除いて10万部台前半となるのは明白で、展望の見えないカネ食い虫となった総合週刊誌を廃刊、デジタル版への移行という形でメンツを保つ社が出てくるだろう。
10年前、どころではない。
「週刊誌冬の時代」は新潮社の写真誌『FOCUS』が廃刊になった2001年には始まっており、20年以上も右肩下がりが続いている。しかも環境は、これからますます厳しくなる。
雑誌を買おうにも売り場がない。
キオスクを始めとする駅の売店が、次々に姿を消しているのは周知の通り。加えて、コンビニから雑誌コーナーが姿を消すのは時間の問題だ。
典型例が、総合スーパーの「ユニー」やコンビニの「ファミリーマ−ト」と提携した「ドンキホーテ」が、6月にオープンした実験店で、雑誌コーナーを置かなかったことである。
理由は、スペースを取るわりには売れないし、利益率も低いからで、要は採算に合わないからである。
その雑誌コーナーを外した実験店は、いずれも業績好調で、ファミマ全店から雑誌が追い出されるのは時間の問題。その方が収益性が高いとなれば、「セブンイレブン」や「ローソン」からも撤退、雑誌の現物を買える場が、いよいよ無くなる。
そうした現実に、出版各社の経営陣が立ち向かっているとは思えない。
現代、ポストの記事ラインナップは、主たる読者の団塊の世代に合わせて、健康、相続、薬、病院、健康食品、60代からのセックスといった特集ばかりで、将来があり、戦わなくてはならず、そのためには世の中の表も裏も知る必要があるといった若年、壮年世代の需要は満たしていない。
その結果としての老人雑誌化。――団塊世代が70歳を超え、週刊誌に手を伸ばす気力を失えばそれで終わり。読者とともに終焉を迎えようとしているのであり、それは発行に責任を持つ編集長以上の経営陣が、いずれも5年後、自分が出版社に籍を置いているとは思わないからだ。
ゲリラジャーナリズムと呼ばれる週刊誌的スクープに意味がないわけではなく、それを可能にする編集者や所属記者の人脈や知識、記事に仕上げる力は無形の財産である。
そのコンテンツ力は、生かし方によってはいくらでもビジネスとなり収益を生むのに、そちらに舵を切らないのは、「紙と高齢読者の呪縛」から逃れられず、リスクを冒したくない経営陣の怠慢でしかない。
座して“お鈴が鳴る日”を迎えるのか。――残された期間は5年を切っている。【戌】
- 2020.02.04 Tuesday
- 社会
- 19:20
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- by polestar0510
































































