2018年3月20日配信<0510archives>「破綻が近づく『みんなのクレジット』オーナー・白石伸生氏の転落の軌跡」<事件>
ソーシャルレンディングのいかがわしさを伝える事態が現在進行中だ。
2015年5月に設立され、ピーク時に45億円を集めていた「みんなのクレジット」(みんクレ)が、7月末に償還予定だった案件の元本を連絡なしで延滞したことで、東京都は9月7日までの業務停止命令を出している。
「みんクレ」に対する業務停止命令は、3月末の関東財務局の1ヶ月間に次ぐものである。
関東財務局の停止期間終了後も、早急な業務の改善を目指すとして新規の投資勧誘等を自粛していただけに、「みんクレ」には新たな投資モデルも運用スキームも確立されていない。
そうしたなかでの償還延滞と、それを理由にした業務停止の先にあるのは「みんクレ」の経営破綻であり、フィンテックブームに水を差すことにもなりそうだ。
運営会社が仲介役となり、ネットを通じて投資をつのり、集まった資金を事業会社に融資してファンドを組成。投資家はその分配益を得るのがソーシャルレンディングである。
金融機関が躊躇する投資先が少なくないだけにリスキーだが、その分、利回りは高く、「みんクレ」では最大14・5%を謳っていた。
後発組ながら「みんクレ」が、1年足らずの間に45億円を集めたのは、高利回りもさることながらソーシャルレンディングを含むフィンテックが金融の世界の変えるという予感に加え、「みんクレ」代表(4月で退任)の白石伸生氏が、多彩な事業歴を持っていたからだ。
白石氏は、今から23年前の94年9月、ブライダルジュエリーの「シーマ」を、大学生時代に立ち上げたところから起業家人生をスタートさせた。
以後、目まぐるしく様々な事業に関与、ITバブルの最盛期には「ネットスーパー」を企画して話題を集め、04年にはペット向け共済(ペット保険)の運営業務を行う「スロー・グループ」を立ち上げている。
白石氏は、そうした企業群の事業が軌道に乗って付加価値がついたところで売却、次のステージに移動。――現在、そうした“連続起業家“のことをシリアルアントレプレナーと呼び、新規事業の開拓者としてそれなりに評価されている。
同氏は、その“先駆け”ではあるが、「シーマ」の上場(99年)で「若手起業家」として脚光を浴びた頃と比べると、最近は事業の失敗による“逃走”が目立つ。
白石氏の“転落”は、企業再生を目的とした「スピードパートナーズ」において、「富士ハウス」「ラ・パレル」「サクラダ」「新井組」「大和システム」などの再生スポンサーとなりながら、再生を成し得ないまま撤退したところから始まっている。
最も話題となったのは、事業というよりは趣味が嵩じた12年11月の「全日本プロレス」の買収だが、これは選手らとの軋轢を引き起こしただけに終わった。
しかも、破綻企業を受け入れていた「スピードパートナーズは、13年8月、「八丁堀投資」と社名変更するとともに、白石氏は代表を退任。経営は次第に悪化、債権者から破産を申し立てられ、14年5月、東京地裁から破産開始決定を受けた。
経営のプロで企業再生家を自認していた人が、再生にことごとく失敗、破産を余儀なくされてしまった。
この時点で、一般投資家からカネを集める金融業者の資格はないといっていいだろう。
ところが、フィンテックブームを背景に、40代半ばになった白石氏は、起死回生の勝負に出た。
それがソーシャルレンディングの「みんクレ」の設立だった。
事業再生の過程で、「右のポケットのカネを左のポケットに移し替える」という作業は「急場をしのぐ行為」として、認められることもある。
だが、投資家のカネを預かる金融業者にとって「分別管理」が当然であって、資金流用など許されることではない。
白石氏は、その禁を破り、ファンドで集めたカネを自社グループへの融資に回し、担保にはグループ企業の株を入れ、しかも自身の借金返済に回すこともあったが、禁じ手であるのは自明の理。関東財務局は、厳しい処分を下し“自転車操業”を止めさせた。
その時点で退任した白石氏は、「八丁堀投資」同様、逃げ切るつもりだろうが、今回も同じ手が通用するとは思えない。
いずれ民事刑事の両方で責任を問われる可能性が高いが、同氏に功績があるとすれば、フィンテックの装いを被った金融商法には、詐欺的要素の危ない投資が少なからず含まれていることを「みんクレ」の経営破綻によって、改めて国民に“広報宣伝”したことぐらいであろう。【寅】
- 2018.03.18 Sunday
- 事件
- 03:35
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- by polestar0510