2017年1月26日配信「南無大師遍照金剛――川崎大師初詣」<寄稿>











 


2017年1月20日配信≪週刊0510archive≫「改竄されたDNA鑑定書で死刑判決!? そして性急過ぎた死刑執行!?――中井洽元国家公安委員長(09年当時)の“懸念”通り、『飯塚事件』久間三千年元死刑囚に冤罪の疑い?」



霖雨の時計台 西村寿行(徳間文庫)

 


 明和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいたひとりの少女が行方不明になった。潤野小学校1年、松野愛子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回収を手伝った後、団地内の公園で友達と遊び、さらに同10時頃、一人の男の自宅で弟と遊んでいるのを近所の人に目撃されるが、これを最後にこの女児は失踪した。この男こそ、久間三千年であった。
 
 久間三千年がこの女児失踪に関与したのか。証拠はない。だが、周囲の印象は、久間が極めて怪しいという雰囲気に包まれた。今度この男の周辺で児童が失踪すれば、重要参考人にされるのは明らかであった。ましてや殺害されるようなことがあったなら、警察は間違いなく久間を“想定した犯人”に仕立て上げるであろう。もちろんこの時点では久間も警察も3年2か月後にお互いが反目し合うことなど予想できなかったに違い。両者を土俵に載せてほくそ笑むものがいた。悪魔の謀略の第一段階は成功したのである。
 
 平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野鳥の国道322号道路わきの林で、20日朝から行方不明になっていた潤野小学校1年、中川藍と同、梅野裕莉の二人の女児が死体となって発見された。二人の顔には殴打の跡があり血が流れていたという。二人は20日朝、別の友人と三人で登校したが、登校途中、この友人と別れ、飯塚市内の繁華街で目撃されたとの情報を最後に消息を断っていた。
 
 この時点で、つまり状況証拠すらほとんどない時点で「犯人・久間三千年」は9割方確定された。初めに「犯人・久間三千年ありき」であった。相撲でいえばもろさしで土俵際1メートルの所から無理やり取り組まされたのである。捜査の初期段階から、久間を犯人と匂わす、警察地元マスコミ一体となっての波状攻撃が繰り返し行なわれた。時に警察は、捜査の初めから久間の顔写真を持ち歩いて近所の住民に聞いて回るという人権を蹂躙した不当な捜査を平気で行なったのである。
 
 2女児の遺体発見で、松野愛子の敵が討てる、一部の警察関係者は色めきたったのであろう。だが、これこそ悪魔が想定していたシナリオであった。冷静に考えれば、久間の一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白であった。まず久間三千年が知性ある性倒錯者として、かつて嫌疑をかけられたのと同じ自宅の近所に住む潤野小の児童を、何故わざわざ欲望充足の対象に選んだのか、しかも2人も、という素朴な疑問が生じてくる。
 
 我々が「変態久間」の立場なら自宅周辺での対象物色という危険な行為は間違っても犯さなかったであろう。以前に嫌疑がかかっていたのだから尚更である。最も不可解なのが、2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置したことであった。“殺人事件”になることを確信して。久間が松野愛子失踪に関与していたと仮定するならば、少なくとも欲望を充足した後の処理技術に関しては長けていたわけである。それが2女児殺害のような大それた事後の処理は、確実に己の首を絞めるであろう形で省略した。遺体が発見されれば警察は確実に動く。この“省略”こそ警察をフル嫁働させ、ターゲット久間が総攻撃されるように仕組まれた「起爆剤」であったのである。これより以後の 「久間攻略作戦」は以下のように行なわれた。
 
 3月に警察が得たといわれる「遺品遺棄現場での紺色ワンボックス車を見た」との目撃情報により、「同種の車を所持していた」久間三千年に捜査の対象はほぼ100%絞られ、この男と女児とを結びつける証拠の発見に全力が注がれた。警察は、最悪、決め手となる証拠品が発見されなかった場合、伝家の宝刀である内部工作による証拠のこじつけ、デッチ上けも辞さない覚悟でいた。3月下旬、久間に任意で提出させた毛髪と「現場に残されていたといわれる体液」とが警察庁で行なわれたDNA鑑定の結果「ほぼ一致」し、この時点で久間がほぼ犯人と断定された。だが検察に証拠能力を問われ、第三者の大学研究室で再鑑定したところ、一致の確立は非常に低下したものであった。ここに警察の苦悩がある。捜査は中断したかにみえたが、平成5年12月になって、前年9月に久間が手放した例のワンボックス車内を再度鑑定、翌年2月、1年5か月という歳月を怪て、女児の衣服に「付着していたという4種類の繊維」と前述の「車のシートの繊維とが一致」、さらに「シートの裏に付着していたといわれる「ごく微細な血痕」と女児の一人の「血液型も一致」した。8月、検察との協議の結果、久間三千年の死体遺棄容疑が固まり、9月29日、同容疑で、ついに逮捕された。最初の事件発生から実に5年9か月後、悪魔のシナリオは完遂されたのである。
 
 久間と警察の5年9か月に渡る闘争は警察による久間への一方的な「精神的拷問」という形で行なわれた。本来密室で行なわれるはずの自白強要が、衆人環視、認証の下行なわれたのである。特に2女児殺害以後は、久間の実名と顔写真を所持しての自宅近辺での聞き込み、張り込みが連日続けられた。平成5年9月には、警察の嫌がらせに対して堪忍袋の緒が切れた久間が、張り込みの捜査員に刈りバサミで切りつけるという一幕もあった。状況証拠らしい状況証拠と言えば「久間も持ってた紺色ワンボックス車が遺棄現場で目撃された」という情報のみであった。だがこれは久間に嫌疑が向けられるように作られた情報リークの可能性があったし、それが事実であるとしても、久間のものと同一の車種を使い、たまたま誰かに目撃されたか、あるいはわざと目撃された真犯人のものであろうことは容易に推測できるものであった。
 
 この「目撃」以外はすべてこじつけられた証拠である。DNA鑑定などほとんど信用性がないことが証明されたにもかかわらず、警察は自称「ほぼ一致」にあくまでこだわった。そもそも「現場で発見された体液」はDNA鑑定できるほどの量があったのか。車内の微物の鑑定に1年5か月もの長大な期間を要したのは伝家の宝刀の製作に四苦八苦していたからに他ならない。A、B、AB、O、2女児の型がそれぞれ異なるとして、いずれかが一致する確率は単純計算で二分の一である。こんなのが証拠と言えるのか。警察が久間逮補のよりどころとしている証拠に久間の車の「シートの4種顕の繊維と2女児の衣服に大量に付着していた繊維とが一致した」というのがあるが、これは殆ど詭弁であろう。女児の衣服のものであると100%断定できる繊維が久間の車の中から出てきたわけではないからだ。証拠となるには4種類の繊維が久間固有のものであることが証明されなければならない。4種類の繊維が量販されている、あるいは他者が真似て作れる、使用できる可能性がある以上、確固たる証拠にはなり得ないのである。にもかかわらず警察は、久間三千年を「怪しい」「やったに違いない」という偏見と思い込み、ほとんどこじつけられた状況証拠だけで犯人に仕立て上げたのである。
 
 久間三千年の起訴後、実に“奇妙”な事が起きた。何を思ったのか、警察は今頃になって松野愛子の痕跡を再び捜しに出かけ、それを見事に発見したというのである。地元マスコミはこの出来事を、6年間不明の愛子ちゃんの衣服が25分で発見された「快挙」としてこぞって報道した。この出来事は警察の「本質」というべきものを実に見事に物語っている。松野愛子の衣服(ジャンパーとトレーナー)は明星寺南谷山道斜面で再捜索に加わっていた地元消防団員の手により不法投棄のゴミに混じって発見された。これに対する警察のコメントが「失踪事件の風化を防止するため、当時の捜索でやや不十分だった場所をあらためて探しただけ」という“素晴らしい”ものなのだ。6年掛けて探し続けてきたものを今回はわすか25分で見つけ出したのである。しかも「とても6年前に捨てられたとは思えないほど傷みは少なかった」という関係者のごたいそうなおまけまで付けて。警察はいつから“超能力者”になったのか。よくもこのような見え透いた大うそを憶面もなく平然とつけるものである。まさに遺族と国民を愚弄したと言えるのではないか。この“奇妙な出来事”は一体何を物語るのか。可能性として次の事が推測されよう。
 
‥漸箸諒刀を抜いた。つまり全く同じ衣服を新たに用意し、自ら投棄し発見した。
警察が温存していた証拠(衣服)を今が出し頃であると判断し、偽装する形で発見させた。
松野愛子殺しの真犯人、第三者が久間を嵌める目的で今になって投棄し、リークして発見させた。
ぃ化児殺害で捜査の手が及ぶと判断した久間が、最近になって投棄しそれをたまたま警察が発見した。
ィ暁間野ざらしの衣服がほとんど無傷の状態で奇跡的に警察に発見された。

 
 現場で発見された着衣は、ゴミ不法投棄場所として調査した主婦の証言から平成4年秋頃にはなかったことが確認され、投棄の時期はそれ以降であることが判明している。したがってほとんど「傷みのない着衣」という事実と合わせて考慮するとイ硫椎柔は除外できよう。
 
 次にい砲弔い討世、平成4年秋以降といえば2女児殺害に関して久間に多大な嫌疑がかかっていた時期である。連日張り込みも行なわれており、このような状況での投棄はます不可能である。見つけられた時のリスクを考えればむしろ自宅で燃やすなりして処分するはずである。それにもともと久間はやってないのだから捨てようがないのだ。
 
 残るは´↓であり、この内のどれかが真相である。この時朝に、特定の場所に狙いを定めて、しかも超短時間で確実に“望みのブツ”を発見した。この意味することは4の“たまたま”とか5の“奇跡的に”ということではなく“そこにある”ことを警察は100%確信していたのである。
 
 この警察の“異能”に関して永留慶造飯塚署長は「若干の捜査情報に基づいた可能性もあるが、その情報は明らかにできない」と述べたそうだが、これを素直に解釈すると、すなわち直接の犯人からでないにせよ、何ものからかの情報リークがあったとも受けとれる。これが事実ならばむしろ久間の事件への関与は否定できよう。もしこの事実がなけれは、,△箸いΔ海箸砲覆襦もっとも警察は間違ってもデッチ上げたとは言わないだろう。いすれを取るにせよ、松野愛子殺しも久間に結びつけ、窮地に追い込もうという何者かの意図は見え見えなのである。
 
 ここで松野愛子殺しの意義を若干述べておく。サタンの本命はあくまで『中川藍』にあった。松野愛子の失踪は、〃抻,鬟侫覯覇阿気擦覆つ度に近所の久間に嫌疑がかかるようにする、⇒茲襪戮『中川藍』の儀式のための予行演習、という二つの意味があったと言える。儀式の完遂のための久間というスケープ・ゴートの必要性だ。松野愛子が演習であったことの証明は、その名前「愛」、衣服のあった「8木山」にある。この意味についてはボエドの『7バス報告書』の署長への謎かけと合わせて考えて頂きたい。
 
 この久間事件は、“謀略”により、いかにして無実の日本国民が殺人犯に死立て上げられるのかを端的に表しているケースである。その意味で、久間事件はすべての日本人に関わる問題であると言えよう。この事件の真相を追及しようとする姿勢を見せれば見せるほど、それを妨害しようとする勢力も勢いを増してくるであろう。『中川藍』の儀式の完遂は、サタンにとってどうしても譲れない橋頭堡的役割を合わせ持っているからである。従ってこれより以後も、久間に止めを刺す様々な小細工が仕掛けられる可能性が非常に高い。
 
 日本国民は自身の問題としてこの事件の成行きを監視していく必要がある。【怪文書その参『告発の書』・岩永天佑】


 


2017年1月19日配信<週刊0510archive>「御家人三千綱の『正義の味方・岩手の旅編』(高橋三千綱・特別寄稿)

 

 


 「Mクンへ」。

 江戸ものの時代小説を書くために借りた恩方の家だったが、1年間、何も書けず、ついに撤退することにした。家賃が払えなくなったためである。

 しかし、家に移したものの、恩方からの荷物書籍はまだぜんぜん片づいていない。西新宿、笹塚、赤坂、府中と転々とした、20年越しの荷物なのだから簡単ではないのは承知だったが、それにしてもまだこれほど残っていたとは。

 7月26日に恩方と自宅の両方でだいたい整理したはずだったが、まいった。府中から恩方に運んだときは荷物を三分の一にしたのだが、本の多さは想像以上だった 。
 家にある本を三箇所に分散することを頼んで、家をでる。姉夫婦と甥っ子まかせになる。
 拙者は整理と力仕事は苦手なのである。

 11時に家をでて、新宿にいく。京王デパートで古書展をやっている。
 目的の本はなかったが、なんとなく1万円ほど購入。それを秘書を呼んで渡す。
 そのため、東京駅についたのが、2時35分という時間。40分にはやまびこ57号にのっていた。

 学研の加藤君と待ち合わせ。これが彼との最後の取材になる。
 パーゴルフの川上部長と広瀬編集長は拙者をはじめ、さまざまなリストラをフリーライターに敢行し、自分たちはいまだに居残ってえばっている。
 真っ先にリストラされるべきは彼らだろう。
 川上はパーゴルフを単体の会社として独立させることを企んでいるが、うまくいくことはないだろう。
 そう簡単に上場して儲けようという企みが成功するものではない。
 人格失格で人が離れる。
 パーゴルフはいづれ吸収される運命にある。
 加藤君はどちらにいくかいまだに決心がつかない様子。拙者は学研に残ることをすすめる。

 5時24分水沢江刺着。さみしい町だった。
 武家屋敷を探して歩いていると料亭があった。
 ていうことは、芸者か小粋な仲居でもいて酌をしてくれるのかと思い玄関に入る。
 なんせ、今日で半年間の禁酒が解禁になる夜なのである。
 つらかったなあ。

 ところが訪いをいれても誰も出てこない。
 となりに同じ経営者の「梅ふたり」という料理屋があったので入る。
 酒をおばさんに頼むと一合なのに徳利で出てきた。
 そのほか、肴が6品ほども出てくる。
 最後に飯。
 加藤君とふたりで合計5400円だった。
 それにしても岩手誉れのうまさは腹の底にひびいた。

 ここの店主はでてくるなり「みちつなさんですか」といきなり拙者の名を口にした。
 おおー、有名人と思っていると、なんでも拙者が37年前につとめた山の上ホテルに働いていたことがあるという。
 拙者とは入れ違いで入ったらしいが、よく知っているという。
 水沢地区を活発にしようという活動もしているらしい。
 もともとは田園地帯でうまい米どころでもあるのだが、先は見えない。

 そこを出て、繁華街というかスナック街を散策する。
 拙者はカラオケのあるスナックやできの悪い女がいるスナックは敬遠している。
 それで小料理屋を探したのだが、ない。
 「駅」の高倉健さんみたいな気分で、倍賞千恵子のような女将がいる店はないかと歩いたのだが、ない。

 それで「紅亭」というかろうじて小料理屋ぽいところのドアをあける。
 カウンターだけの店で3人の客がいた。
 拙者は入ると、ふたりは出ていった。
 あとで女将の同級生だときかされた。
 ということは女将は40歳半ばか。体格のある女で、肩も腰も拙者の3倍くらいある。
 それは誇張ではない。
 夫と別れて子供をひとりで育てるために、1年前から店をやりだしたということである。
 しかし、下半身の頑丈さが、可憐とはほど遠い現実を映し出していて同情まではいたらなかった。
 ここでも酒を一合のむ。
 隣の老人は牛乳を飲んでいた。
 怪我をしたとかで酒が呑めないのだという。いい老人だった。

 「みずさわ北ホテル」にもどり、快眠。しかし、それもすぐに破られる。
 6時前に目覚ましがなる。
 起きて顔を洗う。
 6時半にFM放送、「グリーンジャケット」のディレクターから電話がはいる。
 タケ小山司会の生放送に出演。なんだか分からない内に終わる。
 それからまた眠る。7時半に下におりて朝飯。スケバン刑事の3代目の大西なんとかという女優がいた。
 すっぴんであるので分からなかったが、あとからきて加藤君が教えてくれる。

 8時に栗駒カントリークラブ。取材相手の三浦氏は72歳でかつては日本シニアのチャンピォン。ラウンド後、インタビュー。加藤君はそのまま新幹線で東京へ帰る。

 拙者は盛岡にいって「さんさ祭」をみるつもりだったが、ふらりと入った小料理屋の酒がうまく、生ビールと酒、つまみ代でしめて1500円を払って店をでて歩き、水沢祭をみる。
 そのさみしさに盛岡の「さんさ祭」の壮大華麗、「群舞鳴動」とくらべて、思わず涙する。
 見物客もおらず、テキやも出ていない。
 テキやのいない祭は健康すぎて騒ぐ気にはなれない。
 テキやという、整理屋がいるからこそ、日本の祭は表向きに喧嘩ですべて納まってきたのである。
 歩くうちに昨日入った「紅亭」に明かりが入っているのを見て、また入る。
 今日も牛乳を飲む爺さんがいて、テレビを見ていた。店を出て、しじみラーメンを食べる。妙な味だった。
 盛岡行きはあきらめて、北ホテルに投宿。

 8月2日(日)。朝飯後、武家屋敷や後藤新平の生家をみる。
 武家屋敷は式台つきの立派な玄関をそなえていて、正面からまっすぐには式台が見えないように敷石がおかれ、樹木が茂っている。
 中庭との堺には塀がある。
 潜り戸を抜けて庭にでる。
 落ち着きのある庭園で、中の座敷も江戸の趣そのままに残っている。
 こういうものがさり気なく残されているところに文化を感じる。
 無粋な政治家には理解できない境地だろう。
 中国の共産党にいたってはゼンゼン理解できない深淵な世界だ。
 日本のよさと誠実にいきた江戸の人のこころを見る思いがした。

 盛岡まで在来線でいく。バスで盛岡競馬場へ。無料バスである。沿道にはもうゴザやビニールがしいてあって踊りのための場所取りをしている。6時から始まるので、競馬のあとの見物には丁度いい。
 バブルの殿堂、そのなりの果てと貸した競馬場にはいる。2千人足らずの観客しかはいらないところへ、3万人分のハコモノを建てたのは地方競馬に群がった魑魅魍魎の虫どもだ。みんな死んだか、よいよいになっているはずだが、しぶとく生きのびているのもいるときく。
 この建物を建てるために盛岡競馬はすべての蓄えを吐きだし、さらに借金をのこした。儲けた建設会社は東京に逃げていった。日本長期銀行のハイエナだ。連中はアメリカ人の手先となり、ある幹部は2億円のチップをスイス銀行に振り込んでもらって大喜びしている。そのうちのひとりがまたぞろ、3行合併をもくろんで、国から金を奪おうと画策している。死刑にすべき連中だ。住友の西川もしかり。郵政銀行に逃げ込んだが、住銀時代に変額保険で老人たちを破滅させたひとりであることは間違いない。

 盛岡競馬のC1級クラスの競馬は一生懸命走っている馬には可哀相だが、迫力が中央の馬とはゼンゼン違う。
 もう、使役馬かサファリ動物園でライオンの餌になるのが目にみえている。
 無惨な世界だ。
 殺されるところを見たら、牛も馬も肉という肉は喰いたくなくなるだろう。

 ここの建物の中にはレストランはなく、したがってビールも売っていない。
 外に建てられた掘っ建て小屋にいくしかない。
 そのうちのひとつにはテレビがないのでレースがみられない。
 つまり、酒を売れば馬鹿な客が八百長だと騒ぎ出すと競馬組合ではみているのである。

 競輪とおなじ発想である。
 ジュースを飲みながらギャンブルなどできるわけがない。
 客を小馬鹿にした発想が、競輪や地方競馬を破綻させるのである。
 競輪には県の幹部が多いに関わり合い、天下りというか、ドブ鼠くだりをして職についているが、こういう輩の月給が厩務員の待遇のひどさにつながるのである。

 10レースの「フェアリーC」にキングヘイローの子、クインオブクインが出てきた。
 中央組を迎えたマーキュリーカップでは大差の5着とさすがに苦戦したが、ここでは楽勝。ダートの1800を馬なりで勝って150万円を手に入れた。
 30日のビューチフル・ドリマーCが楽しみだ。
 ここには中央からタマノホットプレイやトーセンブライトが出走を予定している。
 固い馬券だったが、2.3倍を手にして祭に向かう。
 
 神社のあるところで降り、小雨の中、乱舞する浴衣姿の女を見ていた。
 新幹線の時間がきて、途中で引き上げざるを得なかったのは、さすらいの馬券術師らしくない。
 やはり、儲けが少なかったのか、それとも、雨の中で飲んだビールが肝硬変を刺激したの分からない。
 いづれにしろ、ぐったりしてはやてに乗った。

 車中で買ったばかりのパソコンでトースポ用の原稿を書いて送る。
 このモバイルを使ったパソコンはテレビショッピングで買ったものでモバイル利用で15000円、ワードなどオフィス使用にプラス1万円の2万5千円で購入したものだ。
 毎月3千円ほどかかるが、さすらいのおっさんには便利なしろもので、ゴルフのクラブが一本8万円もすることと比べると、先端頭脳がいかに、安くこき使われているか、悲しいまでに理解できる。
 彼らが先行きに暗雲をみつめていることが分かる。

 

 

 

死ぬまで生きる、正義の味方より。

高橋三千綱HP
http://homepage3.nifty.com/michitsuna/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017年1月6日<0510archives>「読者の投稿写真-橋-◆























 


2017年1月5日配信「阿修羅になったヤス」 <寄稿>

 

昨年は交通事故後遺症(右肩腱板損傷)に悩まされた1年でしたが、3月、5〜6月、10月と東京に出向き、裁判所前でチラシ配りができました。

何も成果はありませんでしたがここまでやれたことに満足しています。

これもひとえに皆さんのご支援の賜物です。

ありがとうございます。

 

12月10日10時前に自宅を出て、東京に向かいました。

途中仮眠しながら東京には12日(日曜)午後4時過ぎにチェックインしました。

翌日(月曜)10時前、裁判所に出向き、パネル板を並べようとしたら、3名の裁判所職員がパネル板を裁判所の壁に立てかけるな、パネル板を撤去するようにと言われました。写真ご参照

平成13年3月から広島から出て来て、パネル板を立て、適正な、正しい民事裁判を行うよう訴え続けてきましたが何もなく黙認されていました。

 

確かに平成13年当初、裁判所ガードマンから壁に立てかけるなと言われたが、壁に立てかけて裁判所にどれだけ損害を与えるのか、つまらない裁判、判決行うから広島から出て来て訴えるのだ。

君たちのようなガードマンから云われ、はい、そうですかと止めることはない。

責任者を連れてこいと言ったら、責任者と思われる人間が来たので、同じことを伝え、追い返したら、その後何も言わなくなり、それから15年裁判所前で続けています。

今回突然言われて、やめるわけはない、と拒否したら、彼らは何と警察を呼びました。

やってきた警察官に平成13年から広島からやってきてパネル板を立てかけ、チラシ配りをやっている。

私は、このチラシにもあるように秋葉広島市長が松井市長に交代した際に市長室秘書課から交代挨拶状が来る人間だ。

また、日本弁護士連合会が司法改革のための100万人の署名活動を行ったとき、2000名以上の署名を集め、大阪弁護士会会長から礼状も来ている人間だ。

12年前、この裁判所でチラシを受け取り、私の取り組みに感激した瀬古浩爾さんは「思想なんかいらない生活」という本の中で「日本の民事裁判の改革を求めて一人で戦い続けている原敏恭というひとがいる。現在多分66歳、一人の戦いは11年にも及んでいる。」と書いている。

私は現在78歳、今年2月には79歳になる。

12年前にこの裁判所前でパネル板を立て、チラシを配っている。

また、北尾トロさんが平成15年に出版した「裁判長!ここは懲役4年どうすか」で裁判所前で私のチラシを受け取り、本を買って読んだ感想を第12章「阿修羅のヤス」に11頁わたり書いている。

私は78歳の今まで悪いことは悪いとし、正義を愛し、生きて来たまともな人間である。

孫や子供のため正しい民事裁判実現のため人生を投じている人間である。

税金で仕事している裁判所職員が、立て看板を立てるな、看板を撤去せよという程度で警察を呼ぶものではない。

呼ばれた警察も判断のしようがないだろう。

今ここでは東京メトロ非正規職員リストラ裁判の横断幕やパネルを裁判所壁に貼っているが、私に対するような強い撤去を伝えようとしない。

私が一人、個人だからと3人もかかってしつこく撤去するよう言い、警察まで呼んだ。

弱い者いじめの何物でもない。

このことは、私と裁判所とのことで、警察が関与することではない、帰るべきだと言ったら、警察は許可を得ているのかと聞いたので、当初広島から出てきた際、丸の内警察署に出向き、裁判所前で活動をしようと思うが、どのような手続きをすればよいかと聞いたら、裁判所一帯は許可しない場所だと言われた。

その際、多くの団体が宣伝カーを止め、のぼりを立て、横断幕を貼って、チラシを配り、スピーカーで訴えているが、警察は関与しないと判断しても良いということかと聞いたら、それだけわかっているのなら、何も言いませんということであった。

警察官は私の説明を聞いた後、警察は呼ばれたら来るのが勤めであることは理解してください。

人生の大先輩に失礼をしましたと言って、戻って行った。警察官にもまっとうな人間がいると思った。

裁判所の職員は、私が警察を返したことに不服だったのか、今度は私服の警察を呼び、4名の私服の警察官がやって来た。

しかし私の説得後、いつまでやるのかと聞くから、来週木曜日までと答えたら、次回は何か考えてくれというので、私も15年の黙認し、このような理解に苦しむ職員たちは、許せないのできちんとしたことをやるつもりだと答え、帰ってもらった。

これで済んだと思ったら、3時30分過ぎ、裁判所前が閑散となった時にまた3人でやってきて、同じように壁に立てかけるな、撤去せよと言ってきた。

火曜日、裁判所に着いて、パネル板を置こうとしたら、また3人でやってきて置かせないよう塀の前に立ち塞がった。

立ち塞がった人間にパネル板を立てかけ、車に次のパネル板を取に戻り、パネル板を運んで来たら、彼はパネル板を立てかけ、パネル板から離れていた。

しかし、持ってきたパネル板を立てかけようとしたら、また壁に張り付いてパネル板を置かせないよう立ち塞がった。

また彼の前にパネル板を立てかけ次のパネル板を取りに車に戻った。彼は4枚のパネル板を立てかけるまで同じ動作を繰り返した。

これを見ていた大高さん、若林さんが来て、パネル板の立てかけ、机、本、チラシを車運ぶことを手伝ってくれた。

職員たちは大高さん、若林さんらが手伝ってくれる様子を見ていた。

午後12時過ぎ彼らは3人でやって来て、撤去するよう言ったが、拒否したら、また警察官を呼んだ。

昨日も制服の警察、その後、私服の警察も呼んだが、私が平成13年から広島からきて、やっているが何も言われなかった。

昨年は、3月、6月、10月と壁に立てかけ、チラシを配ったが何も言われなかった。

この職員たちは壁に立てかけるなと掲示をしていると言うが、いつ掲示したのか聞いたら、1週間ほど前だと答えた。

広島からチラシを作り出て来て、ホテルも予約している、やめるわけにはいかないと昨日も言った。

このことは警察が関与すべきことではない、裁判所と私のこと、このような呆れる掲示は裁判所の恥、私は、大阪、広島の裁判所でもパネル板を立てかけ、チラシ配りを行ったが、文句を言われたことはないなどと説明し、帰ってもらった。

私は彼らに、こんな騒ぎをこして、何の得があるのか、恥と思わないかと言ったが、彼らは私の言うことは全く聞こうとしなかった。

語るに落ちる連中だった。

大高さん、若林さんは、原さんをターゲットにしているようだと言ったが、私をターゲットにしてもパネル板を壁に立てかけることをやめる気は全くないと答えた。

騒動を見ていた顔なじみの弁護士先生が裁判所からの帰り、私が逮捕されず、無事でよかった、気をつけなと、言ってくれた。

私は、警察とは仲が良く、逮捕されるようなこと何もありません。

裁判所職員が騒いでいるだけ、大丈夫ですと答えたら、「そうか、まあ気をつけることが大事だよ」と言ってくれた。

3時過ぎ、裁判所前の人通りが少なくなった頃、またやってきて立てかけるな、撤去するよう言ってきたが、やめませんとだけ答え、後は無視したら、戻って行った。

翌水曜日は雨で裁判所には出向かなかったが、木曜日にはまたやってくると予想できたので、カメラを用意し、すべてを写すこととした。

翌木曜、裁判所前について、パネル板を車から降ろし始めたらまたやって来た。

大高さん、若林さんが加勢に来てくれ、若林さんがカメラでこの様子を撮ってくれた。

午後12時過ぎ、安保法に抗議する30名ほどの団体が裁判所の壁の上に派手に写真、横断幕を置いたが、裁判所の職員は外に出てこようとはせず、黙って見ていた。

安保法に抗議する人たちは1時間程度で抗議を止め、壁の上のものを外し、戻って行った。

その後、30分ほどして警察がやってきた。

3日も警察の応対をすれば、私も慣れ、裁判所のしつこさを説明し、戻ってもらった。

翌金曜日も、同様なことを繰り返した。やってきた警察官もうんざりしていた。

この時、裁判所の職員(岡本、田中)に所属名、役職、名前を教えるよう伝え、上司の命で行っているというのでその上司を連れてくるよう伝えたが、何も答えようとはしなかった。

翌週も月曜日から木曜日までこの騒動を繰り返した。

警察を呼んだのは火曜日までで、水曜日からは警察を呼ばなかった。

このようなことをやって裁判所は何が得になるかまったく理解できない。

バカなことをするものだとしか思わない。

大高さんは原さんがやっていることが裁判所に打撃を与えているからだろうと言ったが、裁判所前では多くの団体が私以上に抗議活動をやっている。

私のやっていることが打撃になっていれば、ありがたいと思った。

以上が今回のバカそのものの騒動です。

昨年私は、交通事故による肩の痛みの中、3月6日〜25日まで東京、28、29日は大阪で千里済生会5万円盗難事件チラシ配り、地裁判決。

5月15日〜6月3日まで東京。

7月9日〜13日大阪千里済生会控訴審口頭弁論ためのチラシ配り。

9月13〜14日大阪千里済生会控訴審判決のためのチラシ配り、10月16日〜28日まで東京と活動することができました。

ずさんな民事裁判改革のためチラシを配り、活動することは私の天命・使命です。

身体が動く限り、続けます

広島には22日(木曜)ユースをチェックアウトし、裁判所前でチラシ配り、昼過ぎ、雨が降りだしたので、店じまいし、裁判所前で活動している大高氏、若林氏、また青梅市から訪ねてくれた姫野氏に見送られ、帰途についた。

道中、西湘バイバス国府津休憩所で4時過ぎ休憩、5時過ぎまで仮眠し、雨がひどい中、走り始めました。

箱根新道から霧が濃く、視界が悪くなり、前が見えなくなりました。

左側境界マークだけしか見えなくなり、マークを見ながら慎重に運転したら、塔ノ沢温泉に出てしまった。

何処で迷ったかわからなかった。

霧が晴れたのは、沼津長泉近くだった。

箱根の山中での霧は二度目。箱根の霧は怖いとつくづく思いました。

その後、激しい雨の中、一般道を走りました。

雨が激しく、掛川道の駅で10時前から11時まで雨待ち仮眠しました。

3時過ぎ天理西名阪入口休憩所に着き6時過ぎまで仮眠、起きたら雨はあがっていました。

大阪では12時に川端氏(大阪裁判をいつも傍聴してくれた友人)と森小路の川端氏マンション近くで、5時、新大阪ユースで長尾さん(大阪裁判傍聴女性の方)に会い、東京報告を行いました。

7時過ぎに広島に向かい、午前3時前、無事自宅に着きました。

荷物も降ろさず、風呂に入り、寝ました。

朝食後、眠たく、寝て、昼に起き、1時から広島サンフレッチ対鹿島の天皇杯を最後まで見ました。

広島は残念ながら負けました。

広島サンフレッチ森保監督は、娘夫婦が家族ぐるみで親しく、特に下の孫のエリはナデシコリーグの下部組織でサッカーをやっていることもあり、森保監督の熱烈なフアンです。

広島サンフレッチが優勝した年の年賀状はいつも森保監督を真ん中に孫の英里、真央が一緒の写真です。

朝方起きる前に左右の足がつり、飛び起きたので、広島サンフレッチの試合後足湯マッサージに妻と出向きました。

足裏マッサージ後スポーツ公園に出向き、いつものトレーニング行いました。

以上が帰宅までの経過です。

昨年は加害者過失100%の交通事故で金50万1623円及びこれに対する平成26年11月1日から支払い済みまで年5分の割合による金員を超えて存在しないことを確認する。」という訴えを広島地方裁判所に起こされたことは、メールで、第2回傍聴チラシ、加害者訴状、訴状に対する私のご報告した通りです。

この加害者保険会社(富士火災海上)の悪質なことは、私に支払った保険金は、平成26年11月4日(事故後3日後)から27年7月まで通院した交通費(バス代)3万2千400円だけで、債務不存在の訴えを起こしたことです。

現在、過失のある加害者保険会社が債務不存在の訴えを起こすケースが増えています。

11月16日行われた第2回口頭弁論(第1回は尾崎弁護士の都合で欠席)は11月27日メールでご報告のとおりです。

東京では、12月12日尾崎弁護士に反訴状に必要な書証、証拠類要約を、その後反訴状原稿をメール添付で送り、12月21日事務所に伺い、今後の裁判の進め方を話し合ししました。

中国塗料に対する第2次著作物差止め請求(付帯請求で平成5年2月から使用料月額150万及び法定利率)訴状原稿、遺言書案などの打合せなどを予定通り行い、満足した東京でした。

今年は、済生会千里病院5万円盗難事件の解決、交通事故裁判解決、そして中国塗料船舶塗料データベース著作権の解決など多くが残りました。

 

昨年は大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。

今年2月79歳、この年になってもこれだけ多くに取り組めるヤスは幸せものです。

昨年は実りのない年でしたが、今年は成果が出る年になると確信しています。

どうか、よろしくお願い申し上げます。

 

原 敏恭 拝     

                 (一部訂正)

 

 

 

 

 

 

 


2016年1月2日配信「小誌顧問・秋田犬太郎の年賀状」











   A  HAPPY  NEW  YEAR   (wan-wan-wan)

 

                                                   from  TARO  to  You

 

 

                                                           



 


2016年12月31日配信「年の納めの仏さま巡り」<寄稿>

 



 



 




 

 

 

 


 


2016年12月20日<0510archives>「読者の投稿写真-橋- 


























 


2016年11月25日配信「阿修羅になったヤス」<寄稿>

 

 

11月16日午後3時より広島地方裁判所210号法廷で第2回口頭弁論が龍見昇裁判官担当て行われました。

以下ご報告いたします。

 

私側傍聴人は、大竹市の支援者のYさん、チラシを受け取り来てくれた人が3名と妻でした。

 

原告側は、富士火災海上保険会社社員2名でした。

保険会社傍聴人は私が配るチラシを止めるよう10日には警察官を呼び、

そして保険会社代理人(原告)から私の代理人尾崎弁護士にチラシ配りの中止を求め、

11日、15日、16日にも営業妨害だからチラシ配りをやめるよう言ってきた社員たちでした。

 

裁判は、例によって裁判官による原告訴状(メール添付)及び証拠、

被告本人答弁書(準備書面(1)及び(2)(メール添付)及び証拠確認を行い、始まりました。

 

裁判官は被告代理人尾崎弁護士に原告訴状に対する答弁書(準備書面(1)が代理人ではなく,

 

被告本人が書いていることに対し質問を行ったが、尾崎弁護士が了承し提出したと回答し、裁判官は了承しました。

 

普通答弁書は代理人弁護士が書きますが、本人が書いたもので済ますのは珍しいから裁判官が聞いたのでしょう。

 

次に、裁判官は私(被告)が11月9日から配った傍聴チラシについて、

一般的にはこのようなチラシを証拠として提出した理由説明を求め、

先生はそれなりの理由を説明し、裁判官は深くは追求せず終わりました。

 

このチラシ配りについて、前記のとおり、裁判当日まで社員が止めるよう私にしつこく言ってきていたので、

原告代理人は法廷で、裁判官あるいは私の弁護士先生にやめるようにと云うだろうと確信していました。

何も言わなかったのには驚きました。

 

裁判後尾崎弁護士は、相手側弁護士がチラシ配りについて何も言わなかったのは、

チラシ配りを認めたこと、今後チラシ配りを配っても大丈夫と言われました。

 

尾崎弁護士は、被告は原告訴状に反訴を行うと言い、裁判官は了承しました。

 

今回決まったことは、被告が反訴状を提出し、次回は、29年1月19日午後4時から210号で行うこと。

 

反訴状は、12月までの被告(私)に発生した損害(立て替え治療費、入院・交通費、通院補償費など)

について請求した内容で症状固定判断、後遺症判定などに対する損害請求を外したものにすることなどが決まりました。

 

以上 簡単ですが、ご報告いたします。

 

今回、メールに原告(加害者側訴状)、被告側答弁書(準備書面(1))添付いたします。

 

以上

 

 

阿修羅になったヤス

 

日本の民事裁判を考える会

事務局 原 敏恭

E-Mail  hon-ashura@do.enjoy.ne.jp

 

 

 

 

 

 


2016年7月27日配信「高橋某女は何処に?――新橋4丁目・噂のミステリー・スポットを歩く」<寄稿>

 

 

 

 



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